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キャプテン会議コラム

キャプテン会議リレーコラムは、僕たちキャプテン会議メンバーが「ラグビーの魅力を伝える」ことを目的に、リレー方式で連載するコラムです。
このコラムを通じて、将来トップリーグ選手を目指す子ども達や僕たちを応援してくださるファンの皆さんに、僕たちがラグビーを通じて得た経験から様々なメッセージを伝えていきたいと思います。

(キャプテン会議メンバー一同)

山内貴之(トヨタ自動車ヴェルブリッツ)


山内貴之(トヨタ自動車ヴェルブリッツ)
山内貴之
Takayuki Yamauchi
トヨタ自動車ヴェルブリッツ
ポジション:センター

プレーヤーズサイトを閲覧していただいている皆様こんにちは。今回のリレーコラムの担当をさせていただきます、トヨタ自動車ヴェルブリッツ、2年目の山内です。
今回は、私自身がラグビーを始めたきっかけをメインに、ラグビーの素晴らしさを感じることができた話をさせて頂きたいと思います。

私がラグビーと出会ったのは、小学2年生の正月に、伯父の家で花園をテレビ観戦したのがきっかけです。ラグビーの第一印象は「変なスポーツ」でした。それは、みんな前に進もうとしているのに後ろにパスしているからでした。当時、ルールはもちろん、ラグビーという競技自体も知らない状態でしたが、ラグビーという競技に対し、興味をもったことは確かです。
そんな中で2年生の修了式の日にラグビースクール(以下RS)開校の知らせを受けました。みんなに申し込み用紙が配布されました。私はその場でペンを取り、申し込みました。両親には「ラグビーやっていい??」ではなく、「ラグビーするから。」と報告しました。両親もラグビーの認知度は低く、始めは苦笑いしていましたが快諾してくれました。

小学3年生になると同時に私のラグビー人生が始まりました。地元RS(出戸浜RS)の初代メンバーです。親から無理やり始めさせられた、嫌々通ったという選手の話を聞いたことはありますが、私はそんなことはありませんでした。毎週末の練習を心待ちにしていました。日曜日は朝の戦隊シリーズを見てから練習に向かうのが日課となりました。初めて出場した大会でも優秀な結果を残すこともでき、さらにラグビーの魅力に引き込まれていきました。その翌年からは、兄の影響もあり野球も始め、シーズンになると週末は試合や練習で埋め尽くされ、同日にラグビー練習後、野球の試合をした日もありました。県内には伝統のあるRSもありましたが、その後も新設校ながら県内では比較的に優秀な成績を残すことができました。

しかし、中学に進学するにあたり大きな問題がありました。私の通う予定の中学にはラグビー部がありませんでした。野球を続けるか、新しくサッカーを始めるかとても迷っていましたが、その陰では、RSの監督が中学校の校長にラグビー部を創設してくれるよう、直談判を重ねてくれていました。監督の熱い気持ちが学校に伝わり、ラグビー部の創部が確定。中学でも初代メンバーとなりました。当時部員は7人しかおらず、練習することも困難な状況でしたが、父兄の協力で十分な練習をすることができました。その後も高校、大学と不自由なくラグビーを続けさせてもらえました。現在でも、わざわざ秋田から観戦に来てくれる両親には頭が上がりません。もちろんラグビーを通じてお世話になった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

ここからは、私がラグビーは素晴らしいと感じることができたことを紹介します。

私は、幼い頃、保育園や学校でうるさいほどに騒ぐ子どもでしたが、家に帰るととたんに静かになり、騒ぎ疲れたのか、寝ているか黙々とテレビを見続けていました。家族から見ても、家ではかなり無愛想だったみたいです。当時は、その日に学校であったことすら、聞かれないと話さないような子でした。

しかし月日は流れ、大学生の長期オフで帰省したときに飲みながら母親と話をしていたときです。「ラグビー始めてから徐々に家でも明るくなったよね」と突然母に言われました。高校進学くらいを境に、自分からいろいろと話し始める私の姿を見て、そのように感じていたようです。どのような経緯があったかは定かではありませんが、ラグビーを始めなければこのような変化は無かったと、今では感じることができています。

ラグビーを始めたことにより、日本全国の様々な仲間と出会い、その中でラガーマンとして、1人の人間として、現在も成長させてくれています。ラグビーという世界の中で経験したことは、今までもこれからも、かけがえのない財産になっていくことでしょう。私自身が変わることができているのもラグビーと出会えたからだと信じています。

最後に、元フランス代表FLのジャン・ピエール氏の残した有名な言葉があります。「ラグビーは、子供をいち早く大人にし、大人に永遠に子供の魂を抱かせてくれる」という有名な言葉があります。とても素晴らしい言葉だと思います。この言葉を忘れずに、これからの競技生活を送りたいと思います

文章もまとまっていなく、読みにくいものだったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございます。これからもトップリーグと各チームの応援よろしくお願いいたします。

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キャプテン会議コラム



猪口 拓(東芝ブレイブルーパス)

猪口 拓(東芝ブレイブルーパス)
猪口 拓
Taku Inokuchi
東芝ブレイブルーパス
ポジション:フッカー

いつもジャパンラグビー トップリーグを応援していただきありがとうございます。
今回コラムを担当させていただきます東芝ブレイブルーパスHOの猪口です。よろしくお願いします。

今までのコラムと少し趣向を変えて、「フロントロー(プロップ&フッカー)から見るラグビーの世界」を書きたいと思います。

私がやっているHO(フッカー)というポジションはスクラムの最前線で相手と組み合い、またラインアウトではスローワーとしてピンポイントのボールを投げ込むという、セットプレーの要としてチームの重要な役割を担っています。

フロントローの一番の特徴というと、スクラムのときに味方とも敵とも直接肌を合わせ、力を感じ取ることができるという点です。
スクラムの練習中には「首の位置をもう少し中に」とか「足の位置をもう半歩前に」などのように、まさに職人ならではの話し合いがなされています。そして、数多く組むことで耳が擦れて痛くなり、首の皮がむけることでフロントローならではの一種異様な一体感が生まれるのです。(特に大学のときは意識が飛びそうになるくらい組んだものでした。)

フロントローが練習や試合が終わった後に、敵・味方関係なくスクラム談義に花を咲かせているのも、こういった特有の一体感からくるものなのでしょう。

ただ、ラグビーというスポーツは当然スクラムだけではありません。スクラムから顔をあげると、ポジションは関係なくアタック、ディフェンスに参加することになります。ここで辛い思いをしたことのあるフロントローの選手は多いのではないでしょうか?
ディフェンス時にバックスと対峙するとミスマッチと言われ、アタックでライン攻撃に参加するとデコイランナー(攻撃のおとり)にしかしてもらえないなど。。。

しかし、今シーズンのトップリーグMVPを獲得した三洋電機ワイルドナイツの堀江選手に代表されるように、フィールドプレーでも活躍する選手も増えております。これからのトップリーグはフロントローから目が離せません。

ここでファンの皆様に一つお願いがあります。
これから始まる日本選手権ではバックスの華麗なランニングだけではなく、スクラムに是非とも注目してみてください。1本のスクラムが勝負を左右することもあるのです。そして試合後に「あのスクラムのプッシュが良かったね。」と一声掛けてくだされば、本当に大きな力になるんです。

また、現在フロントローをやっている、もしくは、なりたいと思っている未来のトップリーガーたち。スクラムの練習は痛いし、きついと思うけれど、そのスクラム1本が将来の日本のラグビーを支えると思って頑張って下さい。

自分勝手な立場からのコラムになってしまいましたが最後に、、、日本ラグビーをより素晴らしいものにするため、日本協会、企業、選手たち、ファンの皆様、皆でスクラムを組み一丸となって盛り上げていきましょう!!

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霜村誠一(三洋電機ワイルドナイツ)

霜村誠一(三洋電機ワイルドナイツ)
霜村誠一
Seiichi Shimomura
三洋電機ワイルドナイツ、キャプテン
ポジション:センター

いつもたくさんのご声援ありがとうございます。
今回コラムを担当させていただきます、三洋電機ワイルドナイツ主将の霜村誠一です。
今年はキャプテン会議の副代表としてジャパンラグビートップリーグを盛り上げるため、ラグビーの良さをたくさんの方に伝えるために、各チームのキャプテン会議メンバーと共にいろいろな方面からラグビーを広げていけたら良いなと考えています。

今回のコラムは、私がラグビーを始めてから今まで経験したこと、感じた事、そして今後のことを書きたいと思います。

4歳の時、父親に無理やりラグビースクールに連れていかれて始めたラグビーも、今年で25年になりました。25年間ラグビーを続けられたのは良いコーチ、良い仲間に恵まれてラグビーを楽しめたからだと思います。
小学校低学年の時代は、正直あまりラグビーは好きではありませんでした。それでも毎週日曜日の朝、父親に連れて行かれ嫌々やっていたラグビーが、いつからか楽しくなってきました。チームもそれほど強かったわけでもなかったのですが、コーチやチームメイトと一緒に練習することが楽しくなっていきラグビーが好きになってきました。
小学校の時代に楽しいと感じられ、ラグビーを好きになれたことが25年間ラグビーを続けてこられた理由だと思います。そのきっかけを作ってくれたコーチやチームメイトには感謝をしています。

中学生になり、それまでやっていたラグビースクールに中学部がなかったので別のラグビースクールに通い始めました。自宅からは車で約1時間かかる場所でしたが、ラグビーをするために1時間の移動は苦ではありませんでした。そのラグビースクールではラグビーを楽しむということを教えてくれました。ここでもまた良いチームメイトに出会い、高校でもこのメンバーと一緒にラグビーやりたかったし、花園を目指したかったので東京農業大学第二高等学校への進学を決めました。ちなみにその時のチームメイトの一人は、現在クボタスピアーズで主将をしている荻原要です。

高校へ進学し、それまでの“楽しむラグビー”から“勝つラグビー”に変わっていきました。毎日ハードな練習で日々疲労困憊でした。それでも一度もやめたいと思ったことはありませんでした。むしろ厳しい練習を一緒に乗り越えてきた仲間との信頼や絆が深まっていきました。高校生活最後の全国大会は、出場できたもののベスト16で敗退しました。今でも高校時代の仲間とは仲が良く、年に数回はみんなで集まり当時の思い出話をしています。

大学は、先輩から“enjoyラグビー”と聞いていた、関東学院大学に進みました。関東学院大学のラグビー部は噂通り、監督を中心に楽しい雰囲気で、上下関係もなく、先輩後輩が共に同じ目標に向かってトレーニングをする、とても良い環境でした。大学4年の時はメンバーとして大学日本一にもなりました。大学時代も良い監督、先輩後輩、仲間に恵まれ楽しいラグビーができました。

小、中、高、大学と、思い出してみると、たくさんの仲間に出会いその時その時で、とても良い経験とラグビーをすることができました。それは自分がラグビーを楽しむことや努力をした結果と、良い仲間に恵まれたからかなと思います。

現在、三洋電機ラグビー部でプレーをしていますが、今もコーチや仲間に恵まれています。今はまだ現役選手なので、引退した時に“楽しかった”と思えるように日々努力をしています。
毎日の生活も同じで、その日が終わったときに「今日も良い一日だった」と思えるように、その日その日を充実したものにできるように心がけています。

関東学院大学時代の恩師、春口監督がよく「ラグビーは仲間作り」と、言っていました。自分のラグビー人生を振り返ってみるとその言葉がぴったりだなと感じます。
これからまだまだ現役ラグビー選手としてラグビーの楽しさや素晴らしさをたくさんの人たちに伝えていきたいと思っています。
いずれ引退した後も、それまで自分が経験した事、ラグビーを通して学んだことを今度は教える立場として一人でも多くの子どもにラグビーの楽しさを伝えていき、いつまでもラグビーに携わっていきたいと考えています。

これからも日本のラグビーを色々の方面から盛り上げていきたいと考えています。
応援よろしくお願いします。

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サントリーサンゴリアス(田原耕太郎)

サントリーサンゴリアス(田原耕太郎)
田原耕太郎
Kotaro Tahara
サントリーサンゴリアス
ポジション:スクラムハーフ

いつもラグビートップリーグを応援いただきありがとうございます。今回リレーコラムを担当させていただくサントリーサンゴリアスの田原耕太郎です。
このリレーコラムも7回目ということなので、今回は未来のトップリーガーに向けてメッセージを書きたいと思います。

みなさん毎日練習頑張っていますか? 小学生のみんなはヘッドギア後ろを前に被ったりしていませんか? ゴールキック蹴る時にライアン・ニコラスの真似をしていますか?
私たちの頃は、みんな後ろに5歩下がっていました。また、大して痛くもないのに青いサポーター付けていました。

私は5歳のとき、福岡のつくしヤングラガーズでラグビーを始めました。田舎で伸び伸び育っていた私に、両親はなにを思ったのかラグビーを勧めてきました。

練習は毎週日曜日の9時から12時まで。最初は本当に練習に行くのが嫌でした。当時8時半から「キン肉マン」がテレビで放送されていたのですが、今みたいに録画とかもできず全く見ることができませんでした。翌日の月曜日、学校ではみんなキン肉マンの話題。どんどん新しいキャラクターが出てきて、それを新しい必殺技で倒すのですが、僕はずっと筋肉バスターで止まっていました。

そんなモヤモヤしながら始まった私のラグビー人生もあるコーチとの出会いで大きく変わりました。そのコーチが、井村コーチです。

当時のラグビースクールでは珍しく、くらしません。(九州では殴ることを「くらす」と言います)いつも良いところだけを見て、ポジティブな言葉をかけてくれました。あるとき若気の至りで、私服に赤い靴下を履いていた私に「お前、ばりしゃれとーね!(とても洒落ているね)」って言ってくれました。とてもポジティブなコーチです。
今でも福岡で試合があれば観に来てくれます。

その後中学では、幼馴染のお父さんでもある池上コーチ。
細かいことは全く言わず、基本プレーだけ。(時々くらし有り)。不思議なもので勝った試合よりも負けて悔しくて泣いた試合のほうがよく覚えています。またコーチにすごく怒られたり、くらされたり、そんな事を思い出しながら、なぜか心地よい気持ちになります。
その時は何を言っているのか分からなかった事も、大人になって理解できることがたくさんあります。まだ子供だった私たちに、1人の男として真剣に指導してくれたコーチたちに本当に感謝しています。

未来のトップリーガーの皆さん。どんなに頑張ってもいきなり明日、明後日にトップリーガーにはなれません。毎日の小さな努力の積み重ねが、いつか大きなものになって帰ってきます。1年後、5年後、10年後の自分をいつもイメージしながら夢を信じて努力し、キン肉マンみたいに強くて優しい男になって欲しいと思います。

またグラウンドで会いましょう!!

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三根秀敏(コカ・コーラウエストレッドスパークス)

三根秀敏(コカ・コーラウエストレッドスパークス)
三根秀敏
Hidetoshi Mine
コカ・コーラウエストレッドスパークス、キャプテン
ポジション:ロック

皆さん新年明けましておめでとうございます。
いつもラグビートップリーグを応援いただきありがとうございます。
今回のリレーコラムを担当することになりましたコカ・コーラウエストレッドスパークスの三根秀敏です。
まずこのようなコラムを書くのは初めての事ですし、文章に自信がないので不安はあるのですがどうぞよろしくお願いします。

私たちはいつも応援してくださるの方々に支えられてトップリーグができています。過去にあった出来事を一つ紹介したいと思います。

それはトップリーグ地元九州開催の試合での事です、地元九州開催ということで家族、仲間、会社の方々、たくさんの応援の中での試合でした。
地元の試合ですしいつも以上に気持ちが入り、いい結果を出そうとしたのですが、勝負の世界はいい結果ばかりではなく、その試合に負けてしまいました。皆さんの期待に応える事ができず落ち込んでいました。

やはりそういう日はお酒を飲みたくなったりするものです。
その夜チームメイトと食事に行き、試合のことやこれからの事などを比較的暗い話題ばかりを話していたときの事です。
近くで食事をされていた見ず知らずの方が近づいて来られて、『今日の試合応援行きました、残念だったけど今度の試合もがんばってください。次の試合も絶対応援に行きますから』と声をかけられました。
こんなに近くにも応援してくれる方がいる、落ち込んでいてもしょうがないという強い気持ちが湧き出てきました。
そして何よりもまた次も応援に行きますという言葉に次はもっといい試合をしよう、その次も観に来てもらえるような試合をしようという大きなモチベーションになりました。

どの世界でもそうだと思いますが、応援してもらえると言う事はものすごいパワーになります。今こうやってトップリーグでプレイできているのもたくさんの方々に支えられての事。会社のサポートや職場の方々の理解、チームスタッフ、チームメイト、仲間、そして家族。いろいろなところで支えてもらってここの場所にいます。

その方々の期待に応えるためにも、結果を出す事ももちろん大切ですが、観にきてくれた皆さんにやっている私たちの喜怒哀楽が伝わる試合をしないといけないと思っています。
応援しててよかった、また観に行きたいと言って下さるような魅力ある試合をやっていけたらと思っています。

今シーズンもまだまだ熱い試合が残されています。是非会場に足を運んでいただき感動を共に分かち合いましょう。これからも応援よろしくお願いします。

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